毒親の虐待は連鎖する?!しないように自分を救いましょう
毒親という言葉の認知度が上がってきたように思います。虐待のニュースからみる残虐さが毒親という言葉にも結び付きます。
先日のニュースにあった、虐待によって命を落とした小さな女の子の勉強ノートには世の中が涙したことだと思います。その小さな女の子の命をどのようにしたら救えたのか行政は考えてくれているのでしょうか。
でも、虐待というほどでなくても生きにくい、いつもなんだかつらい、親とどうしてもうまくいかない、どうしてだか理由はわかないが人付き合いが苦手。いろいろと細かい問題を毒親からの影響で発症してしまう人はたくさんいると思います。
私はどうしてそこから抜け出せたのか。(いや、抜け出せたといっていいのか)
結論を言ってしまうと母が亡くなったからです。
今はもう想い出の中の人です。
しかし傷は消えません。想い出を引っ張り出すとつらい気持ちや怒りの気持ちがわきあがり素直に想い出を出せません。
でもその傷に小さな絆創膏をはり、軟膏を塗り、温め、目立たない古傷へと変えていけたらいいなと思います。
私は不倫と嘘に対して強烈な嫌悪感を感じてしまいます。ですが、それは子どものままの私。10歳だった自分は子どもの自分を守る、もう一人大人の自分を作ることにしました。
そう、「母はかわいそうな人なんだ」
「料理も好きではないのに主婦にならなければならなかったんだ」
「朝起きれないのは低血圧でしかたないんだ」
「母の生い立ちも貧乏でつらいものだったから、今お金を手に入れて自由を味わってしまっている子どものような人なんだ」
と大人の目線で子どもの自分に言い聞かせました。
そして、大人の自分が言います。
「強くなろう。この人に頼らなくてもなんでも自分でできるように」
毒親が毎朝起きなくて朝食がなくても、不倫に走り、晩御飯がなくても、嘘をつけと強要されても、世間体よくいろと言われても、自分を守れるのは自分だけなんだと言い聞かせました。その言葉と対の言葉は子どもは親を選べない。です。
私はなるべくお金の面以外では親に頼ることをやめました。本当に朝も自分の目覚まし時計でおき、お米も自分で炊き、習い事への一人で電車に乗り、洗濯ものを畳み、上靴をあらい、給食エプロンに自分でアイロンをかけ(父のワイシャツにもアイロンをかけさせられていましたが)どんどんどんどん自分で自分を守る大人を大きくしていったのです。
今、つらい人がまだ未成年だったなら、誰か信用できる大人に助けてもらってほしいと思います。きっといると思うから。だって、誰も信用できないって本当に寂しいことだと思うから。自分をすべて受け入れてくれる人はそうはいません。でも理解しようとしてくれる人はいると思うから。そして、その頼られた大人が信頼できる立派な大人でありますように。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日のあなたにも小さな幸せがありますように。