まだまだやらかす毒親
今日も暖かな春の陽気ですね。花粉症が酷い私はつらい季節ですが、暖かで太陽の日差しが強くなるこの時期は心も温かくなります。
虐待のニュース、虐待の末引き取られた児童相談所、児童養護施設のニュースが連日続きますね。なんで、どうして、と心を痛めている人もいるでしょう。
でも、私もその一人だよ。見つけて、と小さき声を上げている人もいるかもしれません。
私は今子どもを持つ母です。そのどちらも感じてしまうのでそれらのニュースを見るのはつらいですが、どうしても見てしまいます。どうして、そうなってしまったのか。何が原因だったのか。どうすればよかったのか。とりわけ未来へ繋がるどうすればよかったのか、、、が気になります。
死にたい。と子どもに思わせていた毒親。本人たちは子どもがそのように思っているなんてことは感じません。子どもの心なんて無関心なんです。酷い言葉でいえば、自分の付属品のように思っている場合もあるでしょう。親が、こうと言えば、子も、こうと思わなければならない。。。のように。
私が小学3年生の頃になると小学校の教室が3階になり、ここから飛び降りたら死ねるかな。などと考えるようになりました。(実際は低くて無理でしょう)
その頃から母は不倫を楽しむようになり、子どもに嘘を強要するようになりました。
「1度、鳴らして切った電話のみ出なさい。それはお母さんだから」
「お父さんが電話してきたら、お母さんは頭が痛くて寝ているというんだよ」
駅まで自転車で行くから後ろに乗せられ、その自転車は誰かに見られないようにその自転車を私が乗って帰るのです。
何度となく、父の電話に嘘を言いました。でも、ばれないか、気づかれないか、ちゃんと言えているのか、不安で不安でたまりません。学校でも自分が嘘をついているこの行為を誰かに知られていないか不安で不安でたまりません。それらの精神不安定さが死にたいへとつなげていきました。
ただ、母が家にいないということは自分を見張る人間がいないということです。勉強もピアノもしなくていい。テレビをずっと見続けてもいい。漫画をずっと読み続けてもいい。夜ご飯は千円でコンビニで好きなものを買っていい。
そんな楽しさを少し見いだせていたように思います。
大人になり、母となった私はどんなに体調が悪くても朝ごはん、昼ごはん、夜ご飯はきっちり作ります。だって、毒親と同じラインに乗りたくないから。
そして、嘘に対してものすごく拒否感を感じてしまう大人なので、子どもにも嘘をつくということ、嘘をつかないということ、嘘というものがどのように人間関係や信頼関係を壊すかということをコンコンと説いてしまいます。
そしてまた、自分の行動が行き過ぎていないか本を読みながら、自分を外から眺めながら、反省するのです。
結局アダルトチルドレンのままですね。
でも、今は笑顔で安らげる自分の場所を見つけています。このような傷やいたみを持っている人たちが、同じように、小さな幸せを感じられる場所を見つけられますように。
今日も読んでいただきありがとうございました。