毒親ってすごい言葉
毒親ってすごい言葉ですね。今まで親を大切にしろ。孝行したいときには親はなし、などなど親をいかに大切にすべきかを教えられてきたと思います。
しかしこの何年間でこの構図が変わってきました。
子どもを大切に育てられない親もいるってこと。親からの虐待で傷を受けたり、命を落としてしまう子どもがいるということ。
前回は「教育ママ」のことを書きましたが、しつけや教育と称して逸脱した行為を行えば今は毒親になります。この現代に教育ママという言葉の方が死語ではないでしょうか。
私の親も毒親でした。その言葉が出たとき、同じ思いを抱えている人がいるんだとほっとしたり、嬉しかったり、安心したり、様々な感情が芽生えました。
そしてそれらに関連した本もたくさん発売されるようになり、フリーアナウンサーの小島慶子さんなどは自らの口で毒親のことを語ってくれました。
そのことによって、心の奥底に仕舞い込んでいた想いを出してきて、口に出し、嘆いてもいいだと思えるようになったのです。それまでは口に出すことすらできなかったです。だって、親不孝だとか、親のこと悪く言うなよとか、言われちゃうんだから。。。
私の母はとにかく世間体が一番という人でした。
周りからどのように思われているのか。
勉強も一番、ピアノも上手、絵も上手、作文も上手、お宅のお子さんはなんでもできてすごいねって子どもを育てたかったんです。
自分の子どもの人間性なんて全くの無視です。
勉強が苦手だった私は小学生の頃から母がつきっきりで勉強を見てくれました。
しかし、私は何度も間違えます。すると、だんだん母の顔つきが変わり鬼のように怒り狂います。萎縮する私は緊張のあまりますます思考が停止します。母はスリッパや50センチ物差しや大きな木のすりこぎで私をたたいてきました。何度も何度も。
叩けば勉強ができるようになるのでしょうか。
しかし、あの怒りを見れば恐怖によって勉強をさせることはできます。
テレビを見て怠けていれば、またあの恐怖に叩き落されるのですから。
硬いものでたたかれたらあざもできます。しかし、恐怖心を煽るためにたたいているので、あざは薄く2、3日で消えるものでした。
でもまたそれは次の日も、次の日も続くのです。
もしかしたら、現代では虐待に認定されるのかもしれません。でも昔は教育ママで通せたのです。
小さい頃のことは今でも鮮明に覚えています。
今日も、あの頃の自分によくがんばったね。もう痛い思いはしない日々を過ごしてるんだよ。今日も太陽は暖かく草木を照らし、月は柔らかく夜を照らしていたよ。と語りかけます。
眠る前に温かなお湯にすっと心を浸すように深呼吸をします。
あの頃の私、ありがとう。よくがんばったね。えらかったよ。
そう感じて眠りにつきます。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
つらく、暗い文章が多くなりがちですが、同じ境遇の人だからこそ舐めあえる傷もあると思います。そして最後にはいつも自分をほめて、癒してあげれるような文章にしていきたいです。